[web記事] 「三食ごはん」③世の中の夫婦よ、チャ・スンウォンユ・ヘジンのように



「三食ごはん漁村編」
①マンジェ島、その島に行きたい
②チェ・ヒョンソクシェフから家庭の主婦まで、チャ・スンウォンの料理を評価する
③世の中の夫婦よ、チャ・スンウォンユ・ヘジンのように



15年目の友達。 tvN「三食ごはん漁村編」でのチャ・スンウォンとユ・ヘジンの関係だ。 しかし、小言は多いが情が深いチャ・スンウォンと、怒られるたびに落ち込むが常に先に折れるユ・ヘジンの表情は、友情より夫婦愛に近い姿を見せてくれる。 この二人の関係が番組に心温まる情緒を加えるのは、二人の類似夫婦関係が本当の夫婦のようであるからではなく、むしろ本当の夫婦よりも伴侶や同級の価値をよく見せてくれるからだ。 同じ職種でキャリアを積んだプロとして、お互いを尊重する二人の関係は、同年代の15年目の夫婦たちが見て学ばなければならないほどの模範的な事例であふれている。いくつかの夫婦の解決方法よりもっと現実的なモデルになりそうなチャ・スンウォン、ユ・ヘジンの配慮と尊重の瞬間を選んで、それがなぜ意味あるかを探った。「三食ごはん漁村編」で二人が作っていく温かい感情がうらやましく、懐かしいならば、まずこれらから実現してみよう。


チャ・スンウォン



顔より美しくなければならないのは言葉だ。
古い関係の間で発生する最も大きな誤解の一つは、気楽なのと勝手にすることを混同することだ。世の中には気を遣わなくてもよい関係などない。言葉が意味を盛る器としたとき、おい、おまえ、これ、のような呼び方で相手を指すことはできるかもしれない。しかし、その器に相手に対する尊重と思いやりが盛り込まれる余地はない。十数年を共にして、もうユ・ヘジンが気楽な存在であるチャ・スンウォンは、それでもユ・ヘジンに「あなた」という表現を使う。寒い冬の夜を共にしながら「次に(島に)来る時はダウンジャケットをもう一つ持ってくるね」と言う時に、ダウンジャケットのような温もりが感じられたのなら、その呼び名の中にユ・ヘジンに対する人格的な尊重がびっしり盛り込まれているからだ。チャ・スンウォンの口出しにしばしば口をとがらせるユ・ヘジンも、ムール貝20個だけを洗って来いとのチャ・スンウォンの指示に、難しいとか面倒くさいという言葉の代わりに「完璧主義者だ」と語る。いつも相手が気に入ることはできない。しかし、慎重で美しい言葉は、一番空しい瞬間にもお互いに対する尊重というセーフティーネットになってくれる。


チャ・スンウォン



記憶力は些細なことでさらに光を放つ。

クロソイの甘酢あんかけを作りながら、もっと魚が大きければよいという言葉にすぐユ・ヘジンが反応すると、チャ・スンウォンは「私の話を全部聞いているの?」と言ったが、相手が何に失望して何が好きなのかを簡単に決めつけないことは非常に重要である。それは相手がどんな人なのかを理解していく第一歩だ。相手のために自分の好意に酔って不必要なことをするよりも、相手が何を望んでいるのか、興味を持って記憶すること。事前の打ち合わせで、煮豆が好きだと明かしたユ・ヘジンのために、チャ・スンウォンが煮豆を調理する様子は、些細なことを記憶するというちょっとしたことで、どれだけ大きな感動を作り出すことができるかを証明する。


三食ごはん


良くない状況のために備える。
相手に隠れて自分のためのヘソクリをしなさいという話ではない。ユ・ヘジンがチャ・スンウォンに内緒で用意したフィッシュバンク(Fish Bank)は家族が食べるために急に必要になった時のために備えた、長距離旅行のためのスペアタイヤ、緊急時の連絡のための携帯電話の補助バッテリーのようなものだ。もちろん、新鮮なクロソイやアイナメを利用した豪華な食事を楽しむのもよい。明日の危機に備えつつも今日の楽しみを享受することも重要である。チャ・スンウォンはユ・ヘジンについて、ゆったりとした遊び人タイプだと定義したが、それでもすべての余裕は最小限の生計が確保されるという前提のもとで可能である。KBS [ハッピーサンデー]「1泊2日」時代から、夕食の食材ひとつとってもそのまま与えることのないナ・ヨンソクPDの世界では、遊び人ユ・ヘジンも釣りに出かけ、肩透かしにあうかどうかを恐れていている。彼が責任感のある伴侶であるのは、とにかく今日、クロソイ2匹を獲ってあんかけにして食べたのだから、次の日もどうにかなる、というのではなくあらかじめ最悪の状況に備えるところである。自分だけ楽しむという余裕と、相手のために準備した余裕は違う。


三食ごはん



恩着せがましさは全ての善意をしらけさせる。

お母さんが用意してくれた食事を思う存分食べて、そのまま私は知らないとソファーで横たわってTVを見ている父親よりは、皿洗いでもすると立ち上がるお父さんの方がはるかに良い。だがじっとしていればそのまま光る場面で「大したものを食べてもいないのに皿洗いの量が何故こんなに多い」とか、「本当にこの頃、妻のために洗ってくれる夫がどこにいるんだよ」と虚勢を張る瞬間、そのすべての努力とその善意はお母さんの怒りの度合いを高めるだけにすぎない。世のお父さんたちが、チャ・スンウォンが作った、ムール貝とわかめスープのことより、夕飯を食べたユ・ヘジンが皿洗いを自ら要望する姿をもっと注意深く記憶しなければならないのはそのためだ。皿洗いについて、おいしい食事に対する「感謝の表示」と話す彼に、この小さな労働は恩着せがましくする行為ではなく、最低限の道理に近いものがある。伴侶は、互いに引っ張りあい、互いに期待する関係だ。ギブアンドテーク(give & take) ではなく、お互いに対する「ギブ(give)」を当然に思うべき関係だ。毎日相手が用意してくれる食事を受けて、もしも日曜日の朝にチャパゲッティ(ジャージャー麺風のインスタントラーメン)を作ってあげた自分がとても誇らしく、村じゅうに知らせたい気分になるたびに、朝、先に起きて、あらかじめ火をおこし、遅れて起きてきたチャ・スンウォンに良い知らせがあるから仕掛け網を確認してみて、とそれとなく伝えたユ・ヘジンのことを思い出すべきだろう。


チャ・スンウォン



自分だけのための空間が必要である。

「各部屋を使っている母と父」という字幕のように、チャ・スンウォンと、ユ・ヘジンは相手に広い空間を与えるため、別に寝ている。もちろん、部屋を分けるのを推奨するわけではない。一緒に住んでいるというのは、二つの生き方を共存させることであって、一つの方式の中に2人が入り込むことではない。自分が自分であることが許される時間、自分が自分らしく過ごせる空間はこのような共同生活を容易にしてくれる。また、誰かと一生を共にしなければならないかも知れないということに対する恐ろしさとストレスも一層緩和してくれる。作家ジョン・グレイは『男は火星から、女は金星からやってきた』の中で、男には自分だけの洞窟があるという話をするが、誰にでも自分だけの洞窟は必要である。もちろん、家の中に各自のための空間を確保するのは容易なことではないが、少なくとも台所が女性のための空間ではないということは知っておこう。

(izeの記事を翻訳しました)


*この記事はizeの記事の一部を管理人が翻訳しました。チャ・スンウォン氏の非公式ファンサイトとして、日本のファンへの情報共有を目的に無断翻訳しております。著作権者、利害関係者からの削除要請の意思表示を受けた場合、速やかに誠意をもって応じたいと思いますのでご一報ください。
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