「チャ・スンウォン!」あの日にタイムスリップ(2003.3.14)ぼくらの落第先生Part 2


「チャ・スンウォン!」あの日にタイムスリップ、先日ご紹介した、12年前のインタビュー記事のパート2をご紹介します。映画「ぼくらの落第先生(先生キム・ボンドゥ)」の公開を控えて、撮影秘話や監督・プロデューサーのチャ・スンウォン評、スンウォン氏の演技哲学までたっぷりと詰まっています。

パート1のインタビュー記事は下記リンクからどうぞ。

「チャ・スンウォン!」あの日にタイムスリップ(2003.3.14)


「チャ・スンウォン!」あの日にタイムスリップチャスンウォン



チャ・スンウォンストーリー[2]  (2003.3.14の記事)



「チェ・ギドンは私が好きな男性像」

チャスンウォン



チャ・スンウォンは自分の顔と表情と体をゆがめた。そして、どんでん返しの戦略と設定を強化して、さらについて行った。チャ・スンウォンが引き受けるキャラクターは、だんだん人間的な隙(すき)やみすぼらしさが増え始めていた。それは、彼がシナリオで一番最初に見る、「本当にいそうな人」を演じるためにこの上なく必要なものだった。「メローというものがどのようなものかと考えると、一本の線みたいじゃないですか。女をとても献身的に愛して、誰かを愛して、別れて、そんな風にするというのが…ちょっと。他のドラマにメローが挟まっているのならまだしも、最初から最後までメローなのは絶対にできないと思います。私が考えているメローはそんなことではないから。おそらく『ぼくらの落第先生(先生キム・ボンドゥ)』が決定打でしょう。あ、こいつはは二度と女とはしないだろう…(笑)」これがまさにチャ・スンウォンが考えるメロドラマ、彼がメロドラマをしない理由だ。(もちろん、その定義については誤解の余地があるものの!)


とにかく「ずっと悪い奴、ずっと素敵な奴」は面白味がなくて、演じない、だから「この世界で見ることができない人物」であれば絶対に演じないという彼の言葉を、私たちは、キャラクターが持つ、隙やみすぼらしさに対する彼の愛情を通して受け入れなければならない。高校時代に学校で一番のワルだった生徒が「どういうかけか」先生になることもあり得るし、その先生がこの上なく単純無知なこともある。または国会議員の借金を取り立てるために列車に乗った「かわいそうな」チンピラにも家族はある。家では家族が待っていて、妻はヒステリーを起こす。早く金を受け取って帰らなければならないのだ。(実はこの設定は、チャ・スンウォンがチャン・ハンジュン監督に提案して映画の中に入れられたのだ)そして、光復節の特赦まで耐えられず脱獄した囚人は、思いもよらず刑務所に戻らなければならなかったりもする。チャ・スンウォンは彼らが皆、どこかで生きているかもしれないと信じている。それが彼が理解している世界のリアリティーだ。


「君のやり方でしなさい、とそうしたのです。自身が楽なように…。気持ちが良ければ良いように、気持ちが悪ければ悪いように。事実、後半部分のシーンについて大いに心配をしたが、息子のために学校もたくさん訪ねて行ってみたのですよ。あれこれよく知っている。他の映画はその状況に合うように行ったじゃないですか。でもこの映画はチャ・スンウォンの本来の性格に合わせて行こうと努めました。本来のチャ・スンウォンさんが起伏も激しく、すぐすねてまた直ったりします。キム・ボンドゥと似ています。撮影現場でのニックネームが「チャ・起伏」だったんですよ。」(『ぼくらの落第先生(先生キム・ボンドゥ)』のチャン・ギュソン監督インタビューの中で)


インタビューの途中、少しの間の沈黙を利用してチャ・スンウォンが投げかけた質問は二つだった。「見てかなり違いましたか?」「どうです、気楽に見られましたか?」だから、彼が『ぼくらの落第先生(先生キム・ボンドゥ)』の封切りを控えて、今、関心を持っているのはいかに見違えて、いかに気楽に見られるかということだ。以前のコメディー3編は皆、作家のパク・ジョンウが書いており、その中でも2編がキム・サンジン監督の演出だったために「『風林高(新羅の月夜)』や『ライターをつけろ』、『ジェイル・ブレーカー(光復節特赦)』は同一線上にならざるを得ない」という事実を彼は念頭に置いていた。そこで、チャ・スンウォンがチャン・ギュソン監督の『ぼくらの落第先生(先生キム・ボンドゥ)』を通じて試してみたことは、演技の「新鮮さ」だった。「現場にいるスタッフたちでさえ、私が何をするか期待するそのカタルシス」をこの映画の観客が感じることができるか彼は知りたがっていた。


『ぼくらの落第先生(先生キム・ボンドゥ)』でコミカル+感性演技

チャスンウォン


ソウルの小学校の腐敗した教師が、田舎の分校で道徳を取り戻していくという『ぼくらの落第先生(先生キム・ボンドゥ)』は、チャ・スンウォンのコミカルな演技で前半部分を率いていく。彼はこの映画で、もはや「ツートップ」が登場していない、一人であらゆる感情のレベルを意のままにする、ほとんど一人芝居に近い役に挑戦している。「一人で起承転結を最初から最後までしなければならない」難しさがあったが、「鈍くて頑固なチェ・ギドン、ヤン・チョルゴン、チェ・ムソクのキャラクターとはまた違う」役に挑戦する楽しみもあったのだ。その新鮮さを違うように見てもらうことを望んでいる反面、依然として自分のキャラクターを「気楽に」見ることも望んでいる。言ってみればキム・ボンドゥ先生は、ギドンとチョルゴンとムソクの内面に溶けている、みすぼらしい人間味をストーリーに展開して出しているという点で、一方では以前のコミカルな人物たちの他のバージョンとも見ることができる。映画の後半に盛り込んでいる感性的なコードが、前半部分のコミカルな要素と調和することを彼は期待していた。だからチャ・スンウォンは、コミカルから悲しい感情に転換する映画のその街角ごとに、自分の演技が道案内をうまく果たしているのか知りたがっているのだ。「どんな俳優でもコメディをして普通の劇をすると、吸収がうまくできない俳優がいて、負担を感じる俳優たちがいるでしょう。『ジェイル・ブレーカー(光復節特赦)』を見てからこれを見ると理解されてうまく行くと思うのです。しかし、私がやらなければならない部分は全部したと思います」


キム・サンジン監督が『風林高(新羅の月夜)』のチェ・ギドンを、実際のチャ・スンウォンの姿の中から取り出しように、チャン・ギュソン監督は『ぼくらの落第先生(先生キム・ボンドゥ)』の憎たらしくない悪役を、彼の実際の性格の中から読み取ったものだと話す。状況に重点を置くキャラクターコメディーの人物と、その人物の誇張性を「まばらに切り出して」新たに人物化したキム・ボンドゥと、人間チャ・スンウォンの姿を同時に前提にしたというのは、この映画の中で変化したことや、気楽さの問いに対する答えの手がかりになり得るだろう。「自分に対する信頼や信仰がなければ、限りない断崖に落ちると思います。自分自身に対する信仰感というのは、上手下手を抜きに、一生懸命に熱心にするという部分です。それは時間が経っても変わらないようです。それが私を支える力であるようです」おそらくそれは、自分に対する信仰だけでなく、チャ・スンウォンが話すその「人」たちが彼を見つめる信仰でもある。



『ぼくらの落第先生(先生キム・ボンドゥ)』の監督とプロデューサーが見たチャ・スンウォン

「生活の中で、また別の自分を捜している人」



チャ・スンウォンが重要だと考えるのは人々だ。だからやはり『ぼくらの落第先生(先生キム・ボンドゥ)』のチャン・ギュソン監督とソン・セフンプロデューサーの「証言」を聞いてみる必要もあるのではないだろうか?『ぼくらの落第先生(先生キム・ボンドゥ)』のシナリオを終えたチャン・ギュソン監督の頭の中に浮上した俳優は間違いなくチャ・スンウォンだった。自分の志に命をかける「こざかしい」先生だが、彼は決して「不道徳でなく、可愛い人物」でなければならなかったためだ。チャン・ギュソン監督は、チャ・スンウォンを信じた。チャ・スンウォンがキム・ボンドゥ役を引き受け、当初、田舎の分校の「淡白ながらも叙情的な」雰囲気で構想していたこのシナリオが、キム・ボンドゥのエピソードを中心に比重を高めて行ったのもそのためだ。


ソン・セフンプロデューサーも、慎重に述べている。「チャ・スンウォンに対するコミカルな俳優としてのイメージ、その点を逆に使ったと思う。チャ・スンウォンの可能性を見たし、信頼があったし、人々に違う姿を見せてくれると信じていた」しかし、初めから心配がなかったわけではない。既存のコミカルなキャラクターが与える先入観が、この映画の後半部分の感性を害しはしないかと心配したりもした。しかし、チャ・スンウォンは、制作陣がこの映画の最も「悲しい」シーンに挙げている葬儀場のシーンと、廃校を控えた卒業式のシーンで「非常に満足するほど」の感情を引き出した。チャ・スンウォンは、実際に病気で亡くなった父親の記憶を振り返って、十時間にもわたる間、同じトーンの感情を維持してスタッフに認められた。そして2人の子どもを持つ父親の気持ちで、分校の子供たちの素敵な先生になるにも「不足はなかった」という。(彼はこの映画の撮影中に第二子の出産という喜びを味わったりもしたから)


チャ・スンウォンは映画の中だけでなく、撮影現場でも憎たらしくないキム・ボンドゥだった。撮影現場に遅れて現れたチャ・スンウォンは「ふくれている監督」を前にして、文字通り「わあ」と言いながら撮影現場の雰囲気をアップさせ、監督の怒りを愛嬌のうちに解いてくれた。時には映画の人物の心理について、踏み込んだ対話を交わした。「田舎に行って子供たちを相手にする時、チャ・スンウォンはもう少しなめらかに行くことを望んだし、私はもっと苛立つように行くことを望みました。最初は驚いていましたよ。後で編集版を見てから納得をしました」子供たちを相手する彼の心が格別だったからだろうか?氷点下の寒さの中で魚を獲るシーンを撮影中だった。監督のカットの声がするや否や、チャ・スンウォンは二人の子供を軽々と抱き上げて走り始めた。そして水の外にある暖かいテントの中に子供たちを入れて、自分は毛布一枚で寒さをしのいだ。監督とプロデューサーは口をそろえて『ぼくらの落第先生(先生キム・ボンドゥ)』でのチャ・スンウォンの演技に大満足を示す。「基本的に映画的な人物であり、多分に意識的に作られた人物」というチャン・ギュソン監督のボンドゥに対する定義を、チャ・スンウォンは過去の経験と現在の生活を加えながら理解した。ソン・セフンプロデューサーの言葉のように「現場を気楽にしてくれて、監督やスタッフと多くの話をする俳優であり、作品の中に邁進する俳優」という、映画の中と外の両方での行動が人々の間で認められた形である。

(シネ21の記事を翻訳しました)

*この記事はシネ21の記事を管理人が翻訳しました。チャ・スンウォン氏の非公式ファンサイトとして、日本のファンへの情報共有を目的に無断翻訳しております。著作権者、利害関係者からの削除要請の意思表示を受けた場合、速やかに誠意をもって応じたいと思いますのでご一報ください。



------------管理人のつぶやき------------

前回に引き続き、「ぼくらの落第先生(先生キム・ボンドゥ)」の公開前インタビューの第2弾です。このシネ21の記事は、翻訳に非常に苦労して、遅々として進まず、まるで残っていた夏休みの宿題を片付けるような気分で大変苦しみました。翻訳の精度も悪く、何度か読み直さないと分からない部分もあるかと思います。力不足で申し訳ありません。

記事の中で特に印象に残った部分がありました。それは最後の方にあった、氷点下で魚を獲るシーンの撮影後に、子役を抱き上げて暖かいテントに運んだ、というエピソードです。俳優である前に父であり、とても温かい人間でもあるスンウォン氏らしさを表わしていると思いました。本当に心温まる良いエピソードですね♡近いうちに併設ウェブサイトのプロフィールページにもこのエピソードを加えたいと思います。翻訳には苦労しましたが、こういったエピソードに出会える喜びもあるのですね。

もう一つ印象に残ったのは「最初から最後までメローなのは絶対にできないと思います」と断言していたことです(笑)12年前のインタビューなので、スンウォン氏もきっと考えが変わったかもしれませんね。年を重ねたからこそできるメローもあると信じて、希望を失わずに待ち続けたいと思います。

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Comments 2

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moko  

貴重な記事のご紹介、いつもありがとうございます!

ひとつひとつの作品に込められた役者側、制作者側それぞれの思い・エピソードが興味深く面白いですね。
『ライターをつけろ』の家族愛もスンウォンさんの提案だったなんて、なんだか頷けちゃいます(笑)
演技の本質を追及し、とことん努力される姿は昔も今も変わらない基本姿勢なのですね。
心温まるエピソードも素敵…♡

スンウォンファン禁断?の映画『世紀末』のレビュー記事もありがとうございました。
何年か前に細切れの動画でしか見たことがなく、タイトルからも何か社会的思想やメッセージを持った作品なのだろうとは思っていましたがさっぱりわからず…
あのシーン(ここまでやるの?!と私もドキドキしました)にも重要な意味が隠されていたのですね。
今度は字幕付きで是非見てみたいです。

そして、10000拍手突破、おめでとうございます!!
(遅ればせながら今頃すみません)
いつも楽しみと幸せと時には驚き(笑)をいただきながら拍手させていただいています。
管理人さんへの感謝の気持ちと応援を拍手でしか表せないことが心苦しいですが…
続く20000拍手、30000拍手へと心からエールを送らせていただきます!!

2015/09/03 (Thu) 14:34

管理人  

mokoさん、コメントをありがとうございます。

お粗末な翻訳でしたが、昔のスンウォン氏の演技に対する思いや、エピソードなどを楽しんでいただけたようで嬉しいです。素人の翻訳なので、スンウォン氏ご本人の言葉を訳すのはおそれ多くて正直気が進まないのですが、遅ればせながら、当時のスンウォン氏の作品への思い入れなどを知ることで、少しずつパズルのピースが埋まっていくような気持ちです。今も昔も変わらない、作品を作り出すための努力には心打たれます。

『世紀末』については、字幕版がないようなので、監督の意図する作品の本当の姿を理解することができずに残念です。字幕なしでも理解できる例のシーンだけクローズアップされてしまうのでは…と心配するのは取り越し苦労でしょうか。演技とはいえ、俳優さんって本当にタイヘンだわ…と、思い出すたびに動悸がします(笑)

10000拍手のお祝いをありがとうございます。mokoさんを始め、みなさんの応援を本当にありがたく思っています。思いっきり趣味に走ってしまったり、お粗末な翻訳記事を出したりと、迷走している部分もありますが、これからも楽しんでいきたいと思います。いつも心温まるコメントをいただいて感謝しています。一緒に楽しんでいきましょう♪

いつもご訪問ありがとうございます。またいらしてくださいね。

2015/09/04 (Fri) 02:16

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