「チャ・スンウォン!」あの日にタイムスリップ(2012.12.27)ぼくに炎の戦車を - チャ・スンウォン!(非公式ファンサイト)

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「チャ・スンウォン!」あの日にタイムスリップ(2012.12.27)ぼくに炎の戦車を


チャスンウォン


「チャ・スンウォン!」あの日にタイムスリップ、今回は今から6年前のスンウォン氏のインタビュー記事をご紹介します。ちょうど日本でスンウォン氏の舞台が行われていた頃の記事です。

作品選択に悩む様子や、果敢に新たな挑戦をするスンウォン氏の様子が伝わってきます。


「チャ・スンウォン!」あの日にタイムスリップチャスンウォン



チャ・スンウォンの現在
(2012.12.27の記事)


さらに遠くを眺めながら、次の一歩を踏み出し始めたチャ・スンウォンの現在。

チャスンウォン
黒のシャツとグレーのジャケット、
パンツはすべてCorneliani(コルネリアーニ)、
シューズはCesare Paciotti(チェザレ・パチョッティ)製品。



チャスンウォン
ベストとヘンリーネックTシャツは
Dolce&Gabbana(Dolce&Gabbana)、
コートはYSL by Koon製品。


カメラの前に立ったチャ・スンウォンを見ながら、ユニークなモデルだった俳優の過去を改めて思い出した。素敵に見える方法をよく知っている人に、写真撮影は九九を覚えることよりも容易なことのように見えた。

フォトグラファーがシャッターを押し始めたところ、瞬く間に5~6カットが完成した。長い脚で歩いて来て結果を確認していた俳優が、顔に私は小さな傷があるが隠した方がよいのではないかと意見を言う。それから一言付け加えた。「シワはそのままで大丈夫です。」

彼にとって歳月はそれほど不便な道連れではない。ただ、年齢を重ねるにつれ、役者としての次の歩みに対する考えは深くなったようだった。



1年余りの休息を終え、チャ・スンウォンは予想外の選択をした。 在日韓国人の劇作家兼演出家である鄭義信(チョン・ウィシン)の新作『ぼくに炎の戦車を』は、100年余り前の京城を舞台に、日本人教師と韓国人の男寺党(ナムサダン)コクトゥセ(頭領)の友情を描く。

その他にも草彅剛、広末涼子、香川照之などおなじみの日本の俳優たちが参加したこの作品は、東京で先に公開されて評論家と観客の熱烈な反応を得た。

来たる1月30日からはソウル国立劇場の舞台に上がる演劇に、俳優は特別な愛情を傾けているようだった。「当面の興行から離れて遠くを見た時に、私にとって意味があるような作品をやりたかったのです。」

最近、チャ・スンウォンはシワをどのように隠すということではなく、そのシワにどんな表情を盛り込むかで悩んでいる。客席に座ってその表情を気にするのはなかなか楽しい待ち時間であった。



『最高の愛』以降空白が1年以上続いた。その前までは作品活動が非常に安定して勤勉だったのに、なぜ今回だけは気軽に次回作を選ぶことができなかったのか?
積極的に考慮したいくつかの作品があった。ところが時間をかけて考えながら、他の方向の演技がしてみたくなった。

作品ごとに俳優は、とても少なく満たされた水を底が現れるまでかき集めて使う気分だ。ところがふと、使うことができるのが全く残っていないようだった。『最高の愛』の時にあまりにも多くのエネルギーを使い果たした。

他の映画やドラマでそのキャラクターを借用した何かをまたするのは嫌だった。焦る代わりに、長い目で選択をしなければと思った。


そのような悩みの末に選択した作品が演劇『ぼくに炎の戦車を』である。このプロジェクトに心が動いた理由があるようだ。
監督です。在日韓国人として、どのような幼年時代を過ごしたかは知らないが、一つ確かなのは、この方が苦痛と痛みについてよく知っておられるということだ。

ところが、その時間を何でもないように振り返って笑って話される。重く悲しい出来事を予期しない方式で扱うという点が新鮮に感じた。


劇中の役柄であるイ・スンウは男寺党(ナムサダン)のコクトゥセ(頭領)である。初の演劇の舞台で、サンモ(ひも付き帽子)を回し、綱渡りまでしなければならないので、宿題が積み重なったプロジェクトであるわけである。綱渡りの演技をして舞台の上から落ちたこともあると聞いた。
スタッフ達がそこで幕を引こうとした。ところが私は渡らないといけないと思ったし、渡りたいと思った。軟骨まで破裂したが、結果的には私にとても大きな力を与えた経験だった。作品の中で私を丈夫にしてくれた。


どのような点でそうだったと思いますか?
渡らずに放棄したとすれば、自分自身に対してとても恥ずかしかったと思う。開幕したばかりの時期だったために必ずやり遂げたかった。


安全装置もなく舞台に上がるのですか?
そうです。2メートルの高さで、身体のみで一本の綱を渡る。一緒に出演する香川照之が私を見て本当に強い人だと驚いていた。自分の身体の中にも俳優としての熱い血が流れるので、なぜ最後まで渡ろうとしたのか理解できると言った。しかし、次からはそうはいかないよ(笑)


チャスンウォン
ニットトップとジャケット、テーラーコート、マフラー、
パンツはすべてCorneliani製品。




俳優生活15年目で初めての演劇である。なぜ今演劇を選択したかより、何故これまでしなかったのかを聞いてみたい。
何でもきっかけがなければならないから。演劇という新しい経験を通じて、既に私が持っていたパターンを破りたいという考えが今になって出た。

事実、演劇を一つしたとしても演技力が爆発的に増えたりはしない。ただ、姿勢は変わることができると思う。

俳優として慢性的な習慣を持つようになって、どんどん簡単な方向へ流れるのが嫌だった。以前はこのような悩みはあまりなかった。そんなある日、ふと、こんなふうに続けてはいけないような気がした。


東京での公演日程は終了した。それなりの中間決算があったようだ。
気分がとてもいい。最初は果たしてこれをどうしたらよいのかと思った。私がひもの長いサンモ(ひも付き帽子)を回す様子がそれだけで話にならないようだった。

正直、この頃も回しながら「ああ、これは本当に私に似合わないのだ」と思う。他の見方をすれば、話し方がやぼったくて田舎っぽい作品だ。しかし、最も田舎臭く正直な方法で人々を感動させて笑わせるというのがどんなに大変なことか、最近になって改めて感じている。


作品ごとに全く違って見える俳優はいないようだ。増えたTシャツを羽織っても平凡になることは難しいルックスです。
2~3年前からそのような考えからは抜け出したようです。私に似合うものをもっと成熟させる方法を探さなければならないのではないでしょうか。

私の欲だけでなく、大衆が見つめているチャ・スンウォンの姿も尊重する必要がある。それを無理に変えることが、果たして正解でしょうか?


ハンサムで美しい役者が賞賛を聞くことができる最も早くかつ効果的な方法は、外見を破壊することだ。ところが、チャ・スンウォンはそのような試みをしなかった。
悩んではみた。善良な役も務めた。ところが、善良になるのはいいが、起承転結がすべて善良なチャ・スンウォンは観客が容認しない。そして最も重要な点は、私からそんなことをあえてしたくもない。


男性が30代の自分を好きなのは比較的容易なことです。職業的にある程度軌道に乗ることができて、外見的にも男性らしい魅力が最高潮になる時期です。しかし、40代になった自分を好きであるためには相当な努力が必要ではないのか。

特に俳優が40を超えてから、節制と自制を身につけなければならない。むやみに失敗をしてはならない年齢だと思う。

もちろん、今まで築いてきたノウハウがあるだろうが、それもまた100%正確ではないということを知るべきだ。人々は、新たな選択の瞬間に直面するたびに、過去の経験から答えを探したりする。ところがせいぜい一人の経験をどの程度まで信じられるでしょうか?

それで価値観が合う人たちのアドバイスが必要だ。自分と周りに耳を傾けて正しい選択をしていくと、50代頃には本当に尊敬される男性になるのではないだろうか。


30代であった時期より40代になった姿に満足しているのか?
私にとっての30代はとても積極的だった。そうでなければ崩れるようだった。だから実際には恐怖が多かったと見ることもできる。

ところが40代からは、状況と人に対する理解の幅がもう少し広くなったようだ。もちろん今のすべてが良いとは言えない。ただ、30代の時にこのようなことを知っていたら、どのくらい選択の幅が広くなったのかと思う。それさえも、今では悟ったから幸いだという考えも持っている。

途方もない作品よりは、良い人たちと一緒にする満たされた結果を残せばよい。そして子供たちと妻にとって、頼もしい存在になりたい。率直に言って、以前は漠然とした義務感が大きかった。ところが今は家族を守るためには、どうすべきかを深く、頻繁に考えるようになった。


年をとる自分の姿に快適なようです。
時間を止めることはできないから。年をとるのが好きな人がいるでしょうか。私はいないと思う。青春という単語が訳もなく生じたわけではないのだ。それほど良い時代なのです。ところがそれに劣らず良い時間を生きるには、一旦欲は捨てなければならない。


『ぼくに炎の戦車を』が1月末からソウルで公演される。2013年は演劇でオープンしたわけですね。
だからいい。一年の終わりと始まりが良い作品で自然につながった。


すぐに映画やドラマでも会えますか?
映画をすることになりそうだ。漠然とした言葉だが、良い作品、今の私によく似合う作品をしたい。前とは全く違う様子を見せたいという欲もない。今持っている色々な考えに適した物語と人物に会いたい。


次回作が発表されたら、チャ・スンウォンが今の自分に一番良く似合うと考える物語と作品がどんなものか判断することができる。
おそらく。ところがそういうのから全部離れて、ただ一緒に仕事をする人が気に入って突然決めるかもしれない。


チャスンウォン
白いシャツとタイ、ハンカチはすべてTom Ford(トムフォード)、
ジャケットとパンツはすべてHermes(エルメス)製品。


(Wコリアのウェブ記事を翻訳しました)

*この記事はWコリアのウェブ記事を管理人が翻訳しました。チャ・スンウォン氏の非公式ファンサイトとして、日本のファンへの情報共有を目的に無断翻訳しております。著作権者、利害関係者からの削除要請の意思表示を受けた場合、速やかに誠意をもって応じたいと思いますのでご一報ください。




------------管理人のつぶやき------------

2012年7月、スンウォン氏は日本でのファンミーティングを開催しました。
それからしばらくして、スンウォン氏が日本での舞台に出演するというニュースが舞い込んできました。そして11月から東京、12月から大阪、年が明けて1月からは韓国での公演が始まりました。

日本ではちょうど『最高の愛』が放送されて、スンウォン氏のファンが増え、盛り上がっていた時期でもありました。韓国では2011年6月に放送が終了しましたので、国民的な人気を博した「トッコ・ジン」の後にスンウォン氏がどんな作品を選ぶのか、注目が集まっていたようです。

爆発的人気ドラマの次にスンウォン氏が選んだのは「初舞台」という意外な選択でした。

日韓関係が少し難しくなっていた時期に、同じように日韓関係が複雑であった100年ほど前の京城を舞台にした日本人と韓国人の友情を描いた作品に出演する、というのは並大抵の決断ではなかったはずです。しかも初めての「舞台」に挑戦、男寺党(ナムサダン)の頭領としての芸を披露するというハードルの高い役でした。

インタビュー記事を読んでいるうちに、『最高の愛』で大ブレイクしたスンウォン氏が、作品で俳優としての力を出し尽くし、次の一歩を踏み出すまでに随分と悩んだ様子が伝わってきました。作品が大ヒットすることは俳優にとって嬉しいことには違いないのでしょうが、視聴者の心に役のイメージが強く残ってしまい、次の作品選びに苦労する俳優も多いようです。

演技について、スンウォン氏は「水をかき集めて使う」という表現をしています。その大切な水が全く残っていないように感じたスンウォン氏。これは『最高の愛』でスンウォン氏がトッコ・ジンを演じるためにいかに心血を注いだかを語っているように思いました。

スンウォン氏のすごいところは、俳優として「慢性的な習慣を持って簡単な方向に流れる」ことをせず、全く新しい分野にあえて飛び込んでみたことです。

記事の中にもあったように、身一つで挑む危険な綱渡りではスンウォン氏もずいぶん苦労したようです。しかしそれは、演技という枠を超えて、役者と観客が一体になる熱く濃密な瞬間を作り上げました。当時、日本のテレビ番組に出演したスンウォン氏は「毎日毎日アクション」という言葉を残したほどで、舞台稽古の段階から舞台本番まで、身を張って新たな分野に果敢に挑戦しました。

苦労も苦痛も多かったであろう初舞台の経験は、スンウォン氏が役者としてさらに大きく成長するきっかけにもなったのだと思います。


興味深く思ったのは、スンウォン氏が「起承転結がすべて善良なチャ・スンウォンは観客が容認しない。」「大衆が見つめているチャ・スンウォンの姿も尊重する必要がある。」と、観客や大衆が求める自分の姿について的確に把握していることでした。なんだ、分かってるじゃん、と思わずつぶやいてしまいました。

かっこいい外見をあえて破壊しなくても、スンウォン氏にはスンウォン氏の魅力を生かせる役があるはずです。ファンが望む姿を尊重して、チャ・スンウォンここにあり、という胸がすくような、とびきりかっこいい役を見せてほしいです。

舞台『ぼくに炎の戦車を』から6年。成熟した40代の俳優として、スンウォン氏自身もファンも、双方が良い作品だと満足できる珠玉の作品に出会ってほしいものです。ファンや観客を魅了できる役者だと信じているからこそ、その期待は少しずつ高まっていくのです。

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2 Comments

Like a child dreaming a sweet dream さんのコメント...
管理人様。
『僕に炎の戦車を』の舞台、管理人様はご覧になったのですよね。この題名は、あれですね、『ミルトン』。

Bring me my Bow of burning gold,
Bring me my Arrows of desire,
Bring me my spear, O clouds unfold!
Bring me my chariot of fire!

劇作家兼演出家の鄭義信(チョン・ウィシン)氏の願望や熱情が想像されるような気がします。その頃のスンウォン氏を知らなかった自分がとても残念です。あぁ‥。

「当面の興行から離れて遠くを見た時に、私にとって意味があるような作品をやりたかったのです。」
「俳優として慢性的な習慣を持つようになって、どんどん簡単な方向へ流れるのが嫌だった。」
この記事を読んで、お芝居のテーマや舞台のための努力や情熱も含めて、『僕に炎の戦車を』を選んだスンウォン氏は本当に素敵だと思いました。

管理人様の仰るように、「スンウォン氏自身もファンも、双方が良い作品だと満足できる珠玉の作品に出会ってほしい」。より良くあることに貪欲なスンウォン氏が「これこそ!」と思ってくれるような作品、スンウォン氏の力を存分に発揮できるような作品を、是非とも見てみたいです。
管理人様、良い記事を読ませていただきました。ありがとうございますm(_ _)m。
2018/08/12 21:53
管理人 さんのコメント...

Like a child dreaming a sweet dreamさん、コメントをありがとうございます。

舞台、見に行きました。しかも3回も。

2012年は、7月に人生初のファンミに参加し、”テレビの中の人”だったスンウォン氏が同じ空間にいて手を振ったり歌を歌ったりしていることにすっかり舞い上がった勢いで、11月に同じお芝居を3回も見に行くという、恋に狂った半年を過ごしました。

もう6年も経つのですね。『ぼく戦』のタイトルについて、確か当時、ミルトンからタイトルを取ったという話を聞いたような気がするのですが、何せ記憶がおぼろげになってしまうくらい舞い上がっていたので、久しぶりに舞台のパンフレットを引っ張り出してみました。

”タイトルにある「炎の戦車」は、主人公の柳原直輝の敬愛するイギリスの詩人、ウィリアム・ブレイクの一節。どんな環境にも耐え、信じる道を生きていく。人の強く熱い信念を意味しています。”
(『ぼくに炎の戦車を』パンフレット「ご挨拶」より抜粋)

当時のスンウォン氏が意味のある作品に出たいと熱望し、舞台という初めての環境に飛び込み、辛い稽古に耐えながら、日本と韓国で舞台に立ったことは、その先の俳優人生を歩む上で大きな糧になったことでしょう。

トッコ・ジン役で多くのファンを魅了したスンウォン氏が、誰にも想像できない次の一手を指したことは、ファンにとって忘れられない、そしてスンウォン氏を語る上で外せないマイルストーンとなりました。その決断力と判断力が本当に素敵です。

これから先、スンウォン氏がどんな「一手」を指すのか、ファンは固唾をのんで見守っています。良い作品であり、ファンの渇きを癒してくれるような作品であることをひたすら願っています。

いつもご訪問ありがとうございます。またいらしてくださいね。
2018/08/12 23:38

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