チャ・スンウォン氏新ドラマ「華政」まだ間に合う!光海君大研究④ - チャ・スンウォン!(非公式ファンサイト)

チャ・スンウォン !

チャスンウォン 非公式ファンサイト チャ・スンウォン ブログ

チャ・スンウォン氏新ドラマ「華政」まだ間に合う!光海君大研究④


まだ間に合います!光海君(クァンヘグン)大研究。
連載4回目は、ドキドキの後継者争いの結末について解説していきます。

過去の連載はこちらからどうぞ。
<連載1回目>はじめに
<連載2回目>光海君を取り巻く人々
<連載3回目>出生、そして王の後継者争いへ




後継者争いの末に…ついに王に

信城君(シンソングン)が有利か、と思われた後継者争いは、西人(ソイン)と東人(トンイン)のそれぞれの派閥の激しい陰謀・計略合戦ののち、思わぬ方向に進みます。

1592年、壬辰倭乱(イムジンウェラン)、日本では「文禄・弘安の役」と呼ばれる戦いが勃発したのです。日本からは豊臣秀吉が出兵し、朝鮮半島で戦いが始まります。

この戦いにより、王は避難することになり、非常事態のために朝廷を二つに分け、本朝廷を王が、もう一方を光海君(クァンヘグン)が治めるようになります。この頃、対抗馬であった信城君(シンソングン)は避難の途中で病死しており、光海君の兄にあたる臨海君(イメグン)は王の資質がないと判断され、光海君が後継者=世子(セジャ)として選ばれることになりました。光海君は10代の終わりに差し掛かっていました。

しかし世の中そう簡単にはいきません。当時の朝鮮王朝では、後継者が決まるとお隣の国、明(ミン:中国)に報告をして、明の国から認められないと正式な後継者にはなれなかったのです。光海君(クァンヘグン)が後継者になる、という報告は残念ながら明の国から拒絶されてしまいます。正式に認められないままではあったものの、国内では実質後継者として長い間を過ごしていた光海君に、またしても大きな波が押し寄せます。

体の弱かった王の正室、懿仁王后(ウィインワンフ)が亡くなり、王は正室の後釜の座に仁穆王后(インモクワンフ)を迎えます。そして、その仁穆王后が男の子を産んだのです!正室である仁穆王后が産んだ嫡子、永昌大君(ヨンチャンデグン)の登場で、光海君の立場は悪くなります。当然の流れとして、正室の子を王位継承者に、という動きが出てきます。


華政


こうして光海君(クァンヘグン)は再び、光海君派と永昌大君(ヨンチャンデグン)派の王位継承争いに巻き込まれてしまいます。そんな中、父親である14代国王が重体となり、最終的な後継者の決定ができないまま息を引き取ってしまいます。国王の死により、王位継承の決定は正室である仁穆王后(インモクワンフ)の手にゆだねられることになりました。

自分の子である永昌大君(ヨンチャンデグン)に継承させると思いきや…。当時まだ幼かった永昌大君が即位するのは現実的でないと判断した仁穆王后は、光海君を即位させる命令を下したのでした。

10代の半ばから後継者争いに巻き込まれた光海君が、ようやく王座を手にしたのは1608年、33歳の時でした。


チャ・スンウォン



王座に就くまでの長い長い道のりが終わりました。
次回は国王としての光海君について解説したいと思います。お楽しみに!
関連記事

コメントを書く
(댓글/Comment)

コメントには管理人から返信を差し上げます。(댓글에는 관리인이 답장을 드립니다/Blog manager will reply you. Please come back again.)



管理者にだけ表示を許可する (비공개 댓글/Private comment)