チャ・スンウォン氏新ドラマ「華政」まだ間に合う!光海君大研究③


まだまだ間に合う光海君大研究!
連載3回目は、いよいよ光海君の人生を解説していきます。

過去の連載はこちらからどうぞ。
<連載1回目>
<連載2回目>


出生、そして王の後継者争いへ

日本では長篠の戦いで織田信長が鉄砲を撃っていた頃、と言えば大まかな時代背景が分かるでしょうか。光海君(クァンヘグン)は1575年に朝鮮王朝の14代目の王、宣祖(ソンジョ)の次男として生まれました。母親は側室の恭嬪金氏(コンビンキムシ)で、同じ母親から生まれた臨海君(イメグン)が長男です。側室の子でしかも次男、となれば本来ならば王位継承にはあまり関係のないはずの光海君でしたが…。


華政家系図



数々の韓国時代劇ドラマを見ても分かるように、政治の派閥や、お妃たちの「わが子を王に!」という、し烈な争いはいつの時代にも起こっていたようです。光海君(クァンヘグン)の人生も大きく変わろうとしていました。

父親である14代目の王、宣祖(ソンジョ)には40歳を過ぎても正室である懿仁王后(ウィインワンフ)との間に子供がいませんでした。そのため、世子(セジャ)と呼ばれる後継者選びが遅れていました。正室との間に子供がない、ということは、側室との間に生まれた子供たちが後継者に選ばれる可能性が高いことを意味します。

すでに何人かの側室との間に子供をもうけていた宣祖(ソンジョ)の周りでは、今でいう政党のような派閥に所属する政治家たちがこぞって、自分たちにとって都合のよい「後継者」を推薦して、次期国王にしようと策をめぐらせます。

西人(ソイン)と呼ばれる派閥が光海君(クァンヘグン)を推薦し、東人(トンイン)と呼ばれる派閥が信城君(シンソングン)を推薦し、火花を散らしていました。信城君は王の側室、仁嬪金氏(インビンキムシ)が産んだ子で、王様にも愛されていました。後継者争いのライバルとなった光海君と信城君は、母親違いの兄弟でわずか一歳差。今で言えば高校生くらいの年頃で、派閥・後継者争いという大きな波にのまれていきます。


チャ・スンウォン


十代で既に人生の難しい局面を迎えた光海君。彼の人生はどうなるのでしょうか?
次回は後継者争いの結末について解説したいと思います。お楽しみに!
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